死にたいとも生きたいとも思わない。執着心がない。

「仕事」というものをしだしてから、もうすぐ10年になる。
割といろいろなことを経験できて、面白みを感じながら、ここまでやってきたけれど
ここ最近感じるのは、妙な虚無感だ。

何か仕事をやり遂げても、どうにも充実感がない。むしろ虚無感がやってくる。
営業という立場で、売上を上げることが目的なのだが、その点がどうでも良くなってきているなと、自分自身、実感している。

売上があがったところで、自分に対して、何かメリットがあるかと考えるとそうでもないわけだ。実績に応じて、何かプラスになるようなシステムが、自分の会社にはないので、その点も影響しているとは思うのだが、仮にそうしたシステムがあったとしても、なんだかどうでもいいなあという気持ちが湧いてくるように思える。やる気というものを、そもそも持ち合わせていない人種なので、当たり前といえば当たり前か。

みんなはいったい、何を原動力に働いているのだろうか。そこがすごく不思議で気になる。いまやっている仕事をどうして続けられるのだろうか。何か目標があって、取り組んでいる人もいるだろうし、惰性でやっている人もいるんだろうけど、実のところ、どうなんだろう。

ひとつ気づいたのは、自分には執着心がまったくないということだ。自分には夢がないし、未来がどうでもいい。いま安全で安心であれば、それでいいと感じるし、同時に明日死ぬことになっても、別にいい。生きることに執着したいわけではない。おそらく妻は悲しむのかもしれないけれど、わたし自身は執着しない。

それは生きることから逃げているということなのかもしれない。しかし、死にたいとも思わない。苦しみに執着して、あえて死を選ぶということもない。だから、逃げているともいえない。要は、まじめではないのだ。生きることに。

こんな話をすると、病気など生きたくても生きられない人がいるのだから、生きられていることに感謝すべきという言葉が聞こえてきそうだけど、そんなの知らない。関係ない。そういう運命だったとしかいえない。

わたしはあえて死にたくもないし、強く生きたいとも思わない。
ふらふらしている。浮いている

嘘で自分の身を守ること。

人は、なぜ、嘘をつくのでしょうか。
考えられる理由は、たくさんありますが 、その根幹は、「じぶんの身を守るため」か、「誰かを守るため」のどちらかだと思います。 今回は、「じぶんの身を守る」ためについて考え、 そして、その後の対策について書きます。

 

嘘からは、なにも得られない
嘘という自己中毒

じぶんの身を守るための嘘。これは、じぶんの体裁や、見栄、 じぶんの過ちや、恥ずかしさを隠すことであったり じぶんの存在を、誇大するときや、楽をしようというときに使うことでしょう。これはほんとうに多くて、ぼくは、こればかりかもしれない。

いろんな場面や、状況で使うので、嘘のかたちも異なってきますね。なので、完璧なじぶんをつくるためには、相当な嘘をつく必要が出てきます。それは、想像しただけで、苦しい状況です。 嘘を何度も重ねて、嘘で固めた結果、 その嘘を崩さないように身を粉にする。 それは、なんの成果も生み出しません。その努力で得られるのは、嘘がばれなかったという事実だけです。じぶんにとって、なんらプラスになることはありません。 ゼロがマイナスになるのを防いでいるだけですから。なので、休まることがありません。 楽になる日がきません。

楽になる日は、嘘がばれたときだけでしょう。そんな日々を積み重ねていると、疲れます。そして、そんなことに時間を費やしていると、じぶんが何のために生きているのかさえ、わからなくなってきます。 もっと、疲れます。 出口がみえません。 書いているだけで、こわくなります。

 

嘘から抜け出す方法1
失うことを覚悟して、白状する

では嘘をつきすぎた状態から抜け出すには、どうしたらいいのか。
白状するか、嘘を現実にするか。 このどちらかです。この二つには、コストが発生します。嘘を白状すると、すべてが崩れます。間違いなく、失います。 仮に、なにかしら、プラスの要素があったとしても<br />嘘の内容によっては、そのプラスさえも失います。 信用を失うんです。これが、白状した場合のコスト。 非常に大きなコストですね。 そして、そのコストを支払ったのちも救いようのない、ダサい、みっともないじぶんとして生きていくことになります。

コストを背負って生きていくことになるということでしょう。でも、そのコストを支払うことによって、嘘に苦しめられることはなくなります。これは、新たなスタートを切り出せるという考え方をすれば<br />とっても大きい成果物ですね。考えただけで、気が楽になります。おそらく、白状するという選択をするためには支払うコストと、そこで得られる嘘からの開放感の度合いを天秤にかける必要が出てくるでしょう。どちらをとるか。 支払うコスト(失う信用)が大きいほど、得られる開放感も比例して大きくなるはずです。そのコストを受け入れられるかどうかが、鍵になるでしょうか。これは、もう覚悟の問題ですね。コストが大きすぎると、失うだけではなく、すべてが終わってしまうかもしれない危険性もはらんでいる。だからこそ、覚悟の問題。

 

嘘から抜け出す方法2
努力することを覚悟して、嘘を現実に

それが、嫌だった場合のもうひとつの選択肢が 嘘を現実にすることです。嘘を現実にするって、ある意味では、 夢をかなえるみたいなものです。そう考えると、けっこうポップな捉え方ができますね。たとえば、ぜんぜん弾けないのに、 ギターがうまいんだっていう嘘をついた場合。練習を重ねて、うまくなればいい。無理ではないですよね。ギターがうまいっていうのも、どのレベルかは わかりませんが、じぶんが思う、うまいまでがんばればいい。それで、ぜんぜんうまくないといわれても、 じぶんにとってはうまいなんだ!っていえばいい。こんな風に嘘を現実にすることは可能です。 しかし、この例からわかるように、現実にするためには 練習という労力が必要になります。これが、嘘を現実にする場合のコストになります。これは嘘の大きさによって、支払う努力の必要性が変わってきます。じぶんには、芸能人の友達がいるといった嘘の場合は かなり努力が必要ですね。でも、実現不可能ではない。 Twitterでコミュニケーションをとってみるとか、イベントに行ってみるといったように いくつか手段、方法が挙げられますから。確かに可能性は低いかもしれない。 でも、実現不可能ではないんです。

 

過去に関する嘘は、白状しかない
でも、白状が生む評価もある

ただ、例外もあります。 過去に関する嘘です。いままでに、付き合ったことがないのに、付き合ったことがあるとか。過去に関する嘘は、タイムマシンがない限りは無理です。現実のように見せるためには、そこに更なる嘘を重ねるしかありません。それでは、嘘から抜け出したいという願望から遠ざかるばかりです。では、どうしたらいいのか。 過去に関する嘘は、白状するしかありません。ただ、過去に関することだから、現実世界で 大きな問題にはなりづらいから、わざわざ露呈させてなくてもいい嘘も多々あるとは思いますが。でも、じぶんが苦しいから、あえて言うというのはありかもしれません。こういう場合、じぶんが苦しいというか、気持ち悪いといったほうがいいかもしれませんね。そういうときは、覚悟して、伝える必要がある。しかし、白状しなくてもいい嘘をあえて言うという行為は誠意の表れでもありますよね。いままで考えたとおり、白状するという行為は 覚悟の行為です。なので、白状する相手には”覚悟”しての行為なんだと<br />受け取ってもらえるかもしれない。そういう意味では、白状することで、 評価されることもありえます。学校の先生が、悪いことを白状した生徒を評価するみたいに。じぶんの身を守るための嘘はじぶんよがりなものですから、けして褒められたものではありません。しかし、その嘘に苦しめられるということは、周りに申し訳ないという気持ちがあるからですよね。だから、その気持ちを抱いただけ、まだ救いがあるように思うのです。良心の呵責があるかぎり、大丈夫な気がします。あとは、そこから抜け出すためにどのような行動をとるのか。そして、どのような覚悟をするのかによります。すべてはじぶん次第です。

式場の営業トークに負けるな!冷静な対応を心がけて。

結婚式場は、会場に穴を空けないために、さまざまな営業トークをしてきます。

たとえば、“他の式場と迷っているんですよねー”と言った日には、もうすごいです。
いま、決めてくれたら、最大何十万安くしますとか、ドリンク代を無料にしますとか、ゲストの皆様のためにお車代を負担しますとか、怒涛の営業ラッシュがきます。もうわけがわからないです(笑)。さらには仮押さえもできないという条件も高確率であるので、その場で判断を迫られます。

正直、初めに提示された見積もりが仮に300万だったものが、一瞬で250万に下がると、決めちゃおうかなと気持ちが揺らいだりすると思います。しかし、そこは冷静になりましょう。

 

お金も大事ですが、そんなコロコロと内容を変える式場を信用できますか?
何か最後の最後で何か不利益がある可能性が考えられませんか?
また、申込は必ず10万円が必要で、それはキャンセルすれば戻ってきません。そういうところに限って、すぐに成約に結びつけようとします。

 

なぜなら、一度申込をすると、式まで一気に動き出します。そうなれば、なかなか逃げ出す(キャンセルする)ことはできません。つまり新郎新婦が申し込んでから、やっぱりキャンセルしたいなあと思っても、いろいろ動き出してしまうと断りづらいし、かつ10万円が戻ってこないことが心理的にはたらき、キャンセルできないんです。成約したら基本的には式場の勝ちなんですね。だから、急いで成約させるのです。当然、担当者の営業成績もあるでしょう。

 

しかしながら、落ち着いて考えると、式場は二人のものです。上記のような対応は、新郎新婦のことを考えてはいないと思いませんか。そんな人たちに、大切な人生のイベントはお願いできませんよね。

いろいろな営業トークをされると思いますが、冷静に考えて、二人と、家族、そして友人知人が楽しめる結婚式のためになる、ほんとうの手段を見つけていきましょう!

式場を選ぶための、式場候補探し。ゼクシィカウンター最強説。

いざ結婚式を行うとなると、まずは式場を決める必要があります。ただ、式場を選ぶとき、何をどうしたらいいか、わかりませんよね。ここでは、わたしの経験談を記載します。式場選びで困っている方に参考になればと思います。

 

式場候補を探すなら、ゼクシィカウンター最強説

式場って腐るほどあります。都内だけで200ほどあるそうです。その中から調べるのは、かなり大変です。いざ見学に行ってみて、自分たちが想像していたものと違うととにかく無駄です。※見学は最低3時間かかるので、気軽にはできませんよ!

そこで活用したいのが、ゼクシィカウンターです。「プロポーズされたらゼクシィ」が運営する相談カウンターです。これ、とっても便利です。簡単にいうと、二人の要望を聞いて、いくつかの式場を提案してくれるサービスです。

具体的なフローとしては、下記の通り。

 

■まずは、ホームページから予約申込

相談カウンターに行くには、まずホームページから予約が必須です。

いくつか店舗があるので、希望の店舗を選んで、予約しましょう。時間割が決まっているので、空きがない場合もあります。事前にしっかり確認して、申し込みましょう。

また、その後、確認の電話があります。確認の電話の対応をしないと、予約がはずされてしまう場合もあるので、十分注意しましょうね。

 

■来店して、アンケートに答える(15分)

いざ来店すると、はじめにアンケートに回答します。

アンケートの内容は、結婚式のスタイル(キリスト教式、神前など)、ゲスト人数、重視するポイント、どんな雰囲気の式にしたいか、予算、開催場所など、基本的な内容です。

 

■プランナーの方が二人の要望を聞いてくれる(30分)

アンケートにもとづいて、プランナーの方とお話できます。

二人が抱く、より具体的なイメージを掘り下げていく感じです。面白いもので話をしていると、二人が思ってもいなかったことも指摘してくれます。また、複数の式場のイメージ写真を見て、どのような雰囲気を求めているのかを追求してくれます。ここで、たくさん話をしておくと、後ほどの式場提案でよりイメージの近いものに出てきますよ。

 

■プランナーさんの準備:待ち時間(15分)

プランナーさんが、二人の要望にそった式場を探してくれます。
二人は、お茶を飲んで待ちます。当然ゼクシィがあるので、読みながら。

 

■要望をふまえて、複数の式場を提案と、見学先の選択(20分)

そして、要望に応じた式場を複数提案してくれます。当然、要望の内容に異なりますが、基本的に10件ぐらいは提示してくれます。それらすべてのメリットや、気になる点も要点をまとめて、説明してくれるので、とってもわかりやすくて安心です。

そのなかから、見学する式場を選びます。だいたい気になるところを3つ選ぶのが多いそうです。もし、気に入るのがなかったら、再度探してもらうこともできるようですので、しっかりその旨を伝えましょう。

 

■見学手配をしてもらって、帰宅

式場を選ぶと、見学手配までしてくれます。ただ、いつどの日に見学できるかは、すぐにはわからないので、その場では空いている日を伝えて、退散です。

その後(1時間以内)に電話にて、スケジュール案を出してくれます。問題なければ、そのまま予約してもらいましょう。予約内容は、その後メールで送ってもらえるので、安心です。

 

以上が見学までの主な流れです。あとは予約してもらった日時に会場に行って、しっかり確認してみましょう。わたしの場合は、提案してもらった中から、希望通りの式場があり、そこに決めました。たいへん感謝してます。

 

 ゼクシィや式場サイトを眺めているだけではわからないことも、このカウンターであれば、1時間半で終わるので、かなり効率的だと思います。ただ、ある程度条件を決めたうえで行かないと、良い式場が出てこない可能性があるので、すこしでもいいから事前にイメージをしてから行くのが良いと思います。また、ゼクシィカウンターはどこにでもあるわけではないので、すべての方におすすめできないのですが、行ける場所にはある方々は、ぜひ使ってみては?

式場選びはほぼギャンブル!何を信じて決めるのか。

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最近結婚したので結婚式場を見学してきました。全部で3箇所。
薄々わかっていたことだけど、見に行ったところで、わからないことがとても多い。

式場の雰囲気やアクセス、スタッフのことはわかるけど、どんなドレスを着るのか、どんなアクセサリーを着けるのか、どんな髪型、どんな料理、どんな会場装飾、ゲストは何人、どんな演出。などなど、細かなことはまったくわからない。


当然それらは、新郎新婦が決めないといけないので、わかるわけないのですが、その場でサッと決めることなんてできないから、式にかかる総額は概算。無茶なことをしなければ、大きくブレることはないのでしょうが、ドレスだと15万のものもあれば、30万のものもある。料理は写真と料金だけで、じゃあ、これ!なんてできない。人数☓単価(最低でも@1万円。ドリンク別途)となると、恐怖。さらに、ややこしいのが、ご祝儀の存在。ご祝儀が平均3.3万円なので、実質負担額はいくらですよ、と営業されるのです。しかし、それは予測でしかなく、正しい数字ではありません。もう惑わされるだけです。


要は、あんまりわからなくて、正確な金額はわからないけど、申込をしないといけない。申し込んだところで、キャンセルすればいいじゃん、と思いがちだけど、申込には必ず10万円払う必要があって、キャンセルしたら10万円はGoodbye!

だから、思いました。
式場に申し込むって、ギャンブルだなと。

しかし、その状態でも決断しないと結婚式は挙げられない。その決断をするにあたって、何かしら信じられる部分が必要になる。それは費用なのか、教会の雰囲気なのか、スタッフなのか。いろんな大事なポイントがあるわけですが、それらの総合的にみて、考えるしかありません。

そして、わたしの場合は「人」が信じられるかどうかで選びました。
結果的には、スタッフの皆さんが一番親身で、押し付けがなく、スタッフがみんな優しく、どんな風にゲストを喜ばせるかいろんなアイディアを提示してくれるスタッフが信用できたので、こういう人たちは、我々を裏切らないだろうと思い、決めました。要は、不確定なこと(リスク)があるなかで、我々にとって明らかな不利益なことを提示しない方たちだと判断したわけです。

正直、見積もりや条件がコロコロ変わるところもあります。そういうのは、最終的に何を言い出すかわからないというリスクが出てきますよね。なので、信頼できるところに決めました。ほんとにギャンブルだなあと思うけれど、いまのところは安心しています。

最後まで記事を読んでくれて、ありがとうございました。
まあ人生はみんなギャンブルみたいなもんか。

20歳の自分に言いたい、3つのこと。

今週のお題「20歳」

 

わたしは、いま、28歳です。

この年齢だけ聞くと、随分とおじさんになったなあと思いますが、実感としては、かなり未熟だなと感じています。というのも、昔は、30歳になったら、いろんなことを知っていて、できることが増えているという、漠然とした希望を持っていたからです。しかし、実際は、できることが増えているという実感はありません。

たしかに20歳のころに比べると、できることや、知っていることは多いです。しかし、それよりもわからないことが多いなあというのが、率直な感想です。

世の中は、ほんとうに広くて、知らない、触れたことのない世界が無数に存在します。なので、頻繁に新しいことに出会います。その都度、”すごいなあ”とか、”面白いなあ”とか、子どものように感じるんですね。それは、幸せなことでもあるとは思いますが、昔、じぶんが思い描いていたイメージとは離れています。

さらに、わたしは、WEB制作の会社に勤めているゆえ、知らない技術によく出会います。また、知らないサービスもたくさんあります。そしてこの業界は、特に動きが早いので、新しいサービスもいっぱい出てくる。もう、ほんとうに知らないことの多さににびっくりの毎日です。

社会って、ほんとうにすごいです。
なので、きっと、いろんなことができるようなじぶんが抱いていた人間になる日は、相当遠いのでしょう。これは、きっと間違っていないと思います。けっこう大変な事実だとは思いますが、それに屈せずに頑張りたい。

 

それで、いま、若いころの自分に言いたいことが3つあります。

1.できることが少なさに悲しくなっているけれど、そんなの当たり前だぞ、ということ。

2.お前が、そんなくだらないことに悲しくなっている間に、いろんなことを考えて、いろんなことに挑戦して、いろんなことをかたちにしている人がいるんだぞ、ということ。

3.だから、とりあえず、手を動かせ、何かをしろ、行動しろ、ということ。

 

一番言いたいのは、とにかく、悩んでないで行動しろ、ですかね。何をしたかが、唯一信用できることです。

情報処理安全確保支援士について。

政府が、「情報処理安全確保支援士」なる国家資格を新設するとのこと。

headlines.yahoo.co.jp

 

 

平成29年度に試験が開始され、順次運用されるようなのですが、2020年(平成32年)までに、3万人の資格取得者を目指すようです。

そうなると、一年で1万人の取得者が生まれるということですが、これってなかなかの数字ですよね。そこまで、この資格に希少価値はないように思えます。

いずれにしろ、サイバーセキュリティの必要性、重要性は、今後さらに高まるわけでしょうから、知識を得るという観点で見れば、有益ではあるのかなと思います。現状、それなりに似た資格はあるのでしょうが、それらと比較して、より質の高いものになることを願います。ただ、やはり実務経験がないと、セキュリティの問題は容易には解決しないでしょうから、現実的に社会で活用されるのかは気になります。

 

こういった資格者の活用法は、さまざまあるでしょうが、はじめは、わざわざ各企業が雇い入れるということは少ないでしょうね。セキュリティ対策専門企業の人間が、国家資格を取得するのが、自然な流れかと思います。そして、各企業のセキュリティ調査や、対策を請け負っていくというスタイルが現実的でしょうか。

 

でも、やっぱりクラッカーたちと対決するのは、相当な技術者でないと、かなり道のりが遠い感じがする。そういう意味では、早めに小学校教育等に、プログラムの授業を入れたほうがいい気がします。時間はかかりますが、将来的に、日本の大きな財産になるでしょうし。

 

そして最後に。「情報処理安全確保支援士」。
ネーミングセンスなさ過ぎるでしょう。
長いし、ダサい。

 yoshidanoの日記を読んでくれてありがとうございます。

またのお越しをお待ちしております。

 

「情報処理安全確保支援士」の目的や、今後の流れはこちら(PDFです)。

http://www.nisc.go.jp/conference/cs/jinzai/dai01/pdf/01shiryou0503.pdf#search='%E6%83%85%E5%A0%B1%E5%87%A6%E7%90%86%E5%AE%89%E5%85%A8%E7%A2%BA%E4%BF%9D%E6%94%AF%E6%8F%B4%E5%A3%AB'